損をする衆愚

 「人のため」に何か物事を起こそうとして頑張る時、そこに人がなかなかついてこない。内容も、人集めも、粘りも、自分の全てをできる限りなげうっても、力を貸してくれる人がいない。でもここで責任を感じる必要はない。救ってあげようとしている対象に自分の手が届かなくなっているのは周りの人間の理解が足りないからだと思えば、可哀想なのは理想を実現できない自分ではなく、善意有る人間が多く存在すれば助けられるはずだった人間の方だ。

 どれだけ能力があっても、それを活かそうとする周りの努力がなければ物事はうまくいかない。そのせいで割を食うのは物事を達成できなかった有能な人間ではなく、恩恵を受けられなくなった周りの方だ。有能な人間は、ただ自分の能力がきちんと活かせる場所を探してどこかへ行けばいい。有能な人間を活かそうともしなかったその他大勢は自分たちが損をしていることも、賢い人間に見捨てられたことも分からないまま笑顔で過ごし続ける。これに気づけないが故に、衆愚は衆愚として存在する。